桐朋学園大学を主席で卒業し、日本演奏連盟新人音楽会でミヨ作曲「冬の小協奏曲」日本で初演する。
ドイツ・デットモルト音楽大学に留学。
W・ワルター教授に師事。
メンヒェングラードバッハ私立歌劇場オーケストラの契約団員になる。
帰国後、大阪フィルハーモニー交響楽団に入団。
東京金管五重奏団を主宰し、国内外でのコンサートは4000回にのぼる。
これまで大阪芸術大学、尚美短期大学、などで後進の指導にあたり、その他各音楽大学にも多くの生徒を輩出している。
トロンボーン、吹奏楽の指導には定評があり、門下生には日本打楽器コンクール優勝者や、読売日本交響楽団、九州交響楽団等、プロのトロンボーン奏者、ジャズプレーヤー、吹奏楽指導者、音楽教員等が全国で多数活躍している。